士業が直面する構造的課題と生成AIの可能性
数字で見る士業の仕事の今:申告はデータになり、仕事は時期に集中する
まず、税理士の仕事の中心にある確定申告を、国の資料で確かめます。財務省の広報誌「ファイナンス」が国税庁の公表資料をもとにまとめた記事では、令和7年分の確定申告は次のとおりでした。
| 項目 | 数字 |
|---|---|
| 所得税等の確定申告書の申告人員 | 約2,353万人(前年比+0.6%) |
| e-Taxで申告した人 | 約1,814万人(申告人員の77.1%) |
| 自宅からe-Taxで申告した人 | 約949万人(申告人員の40.3%) |
申告の4人に3人以上がe-Taxになり、税の手続きはデータでやり取りするのが当たり前になりました。税理士法にも、電磁的方法の積極的な利用などを通じて、納税義務者の利便の向上と業務の改善進歩を図るよう努める、という条文(第2条の3)があります。
一方で、士業の仕事は決まった時期に集中します。期限が国や役所の案内で決まっている主な手続きは次のとおりです。
| 資格 | 手続き | 期間・期限 |
|---|---|---|
| 税理士 | 令和7年分の所得税の確定申告 | 2026年2月16日〜3月16日(相談と申告書の受付) |
| 社会保険労務士 | 労働保険の年度更新 | 原則として例年6月1日〜7月10日 |
| 社会保険労務士 | 社会保険の算定基礎届 | 毎年7月10日まで(10日が土日なら翌営業日) |
社会保険労務士の事務所では、年度更新と算定基礎届が6月から7月上旬に重なります。この期間に新しいやり方を試す余裕はありません。AIを試し始めるのは、表の期間を外した落ち着いた時期にします。
AIの活用はまだこれから:中小企業で「取り組んだ」は約3割
中小企業庁が2026年版中小企業白書の概要として示した資料があります。2019年以降の省力化の投資で、AIの活用に「取り組んだ」と答えた中小企業は30.3%(n=5,645)でした。士業の事務所だけの数字ではありませんが、7割はまだ手を付けていないことになります。
| 理由 | 回答の割合 |
|---|---|
| 活用する業務がイメージできていない | 63.4% |
| 活用を推進する人材が不足している | 40.0% |
| 社内ルール・ガイドラインが整備されていない | 26.2% |
| セキュリティ・情報漏えいへの不安がある | 14.5% |
| 必要な予算を確保できない | 13.8% |
お金よりも、「どの仕事に使うか」「誰が進めるか」「どんな決まりで使うか」が止まっている理由です。顧問先の秘密を預かる士業の事務所では、ルールと情報漏えいの不安は、ほかの業種よりも重く感じられるはずです。
士業ならではの3つの壁:なぜ使い始めにくいのか
- 守秘義務が法律で決まっている:税理士法・社会保険労務士法・行政書士法には、それぞれ秘密を守る義務の条文がある。どこまでAIに入れてよいかが決まらないと、誰も使い始められない
- 間違いが顧問先の損害に直結する:税額、期限、法令の条文を間違えると、顧問先に追徴や手続きのやり直しが生じる。「AIはもっともらしく間違える」と聞くと、使うほうが怖くなる
- 判断が所長に集まっている:最後に確かめる人が所長1人だと、職員がAIで下書きを作っても、所長の確認の仕事は減らない。繁忙期には、その確認がいちばんの行列になる
だからこそ、生成AIは「書類を最後まで作らせる道具」ではなく、「資格者が確かめる前提の下書き係」として使うと、士業の事務所でも始めやすくなります。公表されている税制改正の資料を顧問先向けの文章にする、面談のメモを議事録にする、といった仕事です。
士業における生成AIユースケース全体像
生成AIは、文章を読む・まとめる・書き直す仕事が得意です。士業の事務所の仕事を資格ごとに分けると、使いどころは次のようになります。
| 資格・場面 | AIに任せる作業の例 | 資格者・担当者が必ず確かめること |
|---|---|---|
| 税理士:顧問先への報告 | 月次の報告書の下書き、試算表の前月比のコメント案、面談前の確認事項の洗い出し | 数字が帳簿どおりか。税務上の判断や助言の中身 |
| 税理士:情報の提供 | 税制改正の資料の要約、顧問先向けのお知らせ文、よくある質問の回答案 | 条文・日付・金額が公表資料どおりか |
| 社会保険労務士:規程 | 就業規則の改定の新旧対照表の下書き、社内向けの説明文 | 法令に合っているか。その会社の事情に合っているか |
| 社会保険労務士:相談 | 労務相談の論点の整理、顧問先への返信の下書き | 結論と根拠の法令。言い過ぎや約束になっていないか |
| 行政書士:許認可 | 申請の手引きから必要書類のチェックリストを作る、お客様への書類の依頼文 | 役所の最新の手引きと照らし合わせる |
| 共通:事務所の運営 | 面談の議事録、所内マニュアルの下書き、職員向けQ&Aの整理 | 話した本人、またはマニュアルの持ち主に確かめてもらう |
国内士業の生成AI活用事例
ここでは、各社・各団体が公式に発表した内容だけを紹介します。数字は発表に書かれたとおりです。
PwC税理士法人|三菱商事の経理業務の実証で、情報の抜き出しの正解率は平均97%
PwC税理士法人は2024年7月25日、三菱商事が生成AIを使って行った経理業務の改革の実証実験を支援したと発表しました。期間は2024年4月から5月の2か月です。契約書や残高証明書から保証債務の情報を抜き出す仕事では、平均97%の正解率でした。請求書から会社名や摘要を抜き出し、支払調書を出す必要があるかを判定する仕事では、98%の再現率(出す必要があるものを拾えた割合)だったとしています。
税法の定義をそのままAIに与えても精度が上がらなかったため、税理士としての知見をもとに、具体的な例や説明を指示文に加えたと説明しています。過去の判定の結果や社内のマニュアルも、AIに読ませる形で使っています。
辻・本郷 税理士法人|生成AIの利活用ガイドラインを公表
辻・本郷 税理士法人は、公式サイトで「生成AI利活用ガイドライン」を公表しています(ページの日付は2025年9月1日)。生成AIを業務で使うときの方針とルールをまとめたものです。使う目的には、サービスの品質の向上、専門性の深化、資料作成や情報収集などの業務の効率化を挙げています。
AIに学習させるときは、お客様を特定できないようにデータを暗号化・匿名化・除外する、と定めています。全従業員に向けてマニュアルとチェックリストを作り、定期的に研修することも決めています。生成AIの出力は正確さが保証されないため、税務・会計の内容は税理士や会計士が確かめるとしています。ページに削減時間の数字はありません。
アンダーソン・毛利・友常法律事務所|全弁護士・パラリーガルが法律に特化したAIを本格利用
弁護士ドットコムは2025年11月11日、リーガル領域に特化したAI「Legal Brainエージェント」の導入を発表しました。導入先は、アンダーソン・毛利・友常法律事務所です。試しに使って有用性を確かめたうえで、全弁護士・パラリーガルが本格的に使い始めたとしています。法令、判例、ガイドライン、専門書籍などの情報源にもとづいて答え、参照した文献とその箇所をたどれるのが特徴です。発表に削減時間の数字はありません。
TKC全国会|税理士・公認会計士の団体が、AI活用の基本方針を定める
TKC全国会は、税理士・公認会計士が組織する団体です(会員11,600名、同会の発表による)。2026年6月3日、「AIの活用に関する基本方針および会計事務所における必要な対応」を発表しました。AIは法令遵守を最優先にしたうえで、業務の効率化と品質の向上のために積極的に使う、という考え方です。
- 関与先(顧問先)の同意を得たうえで利用する
- 出力結果の正確さを必ず確かめ、最終の判断は税理士が行う
- AIの利用の状況を「見える化」する
あわせて会員事務所には、関与先の情報をAIサービスに入れる前に同意書を取ること(難しい場合は通知書で知らせること)を求めています。個人情報保護方針と顧問契約書に、AIサービスの利用を書き加えることも求めています。同意書・通知書・契約書の見直しという3つの手順は、TKC全国会の会員でなくても写せます。
士業で使えるプロンプト5選
そのまま貼り付けて使える文例です。( )の中を自分の事務所の内容に置き換えてください。顧問先の会社名や人の名前は「A社」「B様」に置き換え、マイナンバーや口座番号などは入れずに試すのが基本です。
①【税理士】月次の数字から、顧問先向けの報告書の下書きを作る
②【税理士】税制改正の資料を、顧問先向けのお知らせ文にする
③【社会保険労務士】就業規則の改定の新旧対照表を下書きする
④【行政書士】申請の手引きから、必要書類のチェックリストと依頼文を作る
⑤【共通】面談のメモから、議事録と宿題の一覧を作る
どの文例でも、AIが作ったものは下書きです。税額、期限、条文、金額は、必ず資格者が元の資料と照らし合わせてから使ってください。①・③・⑤のように顧問先の情報を扱う文例は、次の章のルールを決めてから使います。
士業×生成AIのリスクとガバナンスをどう設計するか
士業で特に気をつけたい3つのリスク
- 秘密と個人情報の持ち出し:顧問先の決算書、給与の情報、許認可の申請の中身などを、入力した内容の扱いを確かめていないAIサービスに入れてしまう
- もっともらしい間違い:AIは、税法や労働の法令の条文、期限、金額について、それらしい間違いを書くことがある
- 責任のあいまいさ:AIが作った報告書や回答を、資格者が読まずに顧問先へ出してしまう
守秘義務は、それぞれの法律に書かれている
士業の守秘義務は、資格ごとの法律に書かれています。資格者本人だけでなく、事務所で働く職員にも同じ義務があります(e-Gov法令検索で条文を確かめました)。
| 法律 | 資格者本人 | 事務所の職員(使用人その他の従業者) |
|---|---|---|
| 税理士法 | 第38条:正当な理由がなくて、税理士業務に関して知り得た秘密を他に洩らし、又は窃用してはならない。税理士でなくなった後も同じ | 第54条:同じく秘密を漏らし、又は盗用してはならない |
| 社会保険労務士法 | 第21条:開業社会保険労務士・社会保険労務士法人の社員は、正当な理由がなくて、その業務に関して知り得た秘密を他に漏らし、又は盗用してはならない。その立場でなくなった後も同じ | 第27条の2:同じく秘密を漏らし、又は盗用してはならない |
| 行政書士法 | 第12条:正当な理由がなく、その業務上取り扱った事項について知り得た秘密を漏らしてはならない。行政書士でなくなった後も同じ | 第19条の3:同じく秘密を漏らしてはならない |
税理士法では、第38条と第54条に違反したときの罰則も定められています(第59条。2年以下の拘禁刑または100万円以下の罰金。告訴がなければ起訴されない)。どの条文も、AIサービスへの入力について直接は書いていません。そのため、入力した情報をサービスがどう扱うかと、顧問先との約束を、使う前に確かめる手順を事務所の決まりにしておきます。
個人情報保護委員会は2023年6月2日、生成AIサービスの利用について注意を呼びかけました。個人情報を含む指示文を入れるときは、決めた利用目的の範囲内かを十分に確かめること。本人の同意なく個人データを入れ、それが答えを出す以外の目的で使われると、法律に違反するおそれがあります。そのため、AIサービスの事業者がそのデータを機械学習に使わないことなどを十分に確かめること、としています。
前の章で紹介したTKC全国会の方針のように、顧問先から同意を取り、顧問契約書や個人情報保護方針にAIの利用を書いておくのも一つの方法です。所属する士業の団体から案内が出ている場合は、そちらもあわせて確かめてください。
事務所のルールに入れたい5つのポイント
- 使ってよいAIサービス:事務所が認めたサービスとアカウントだけを使う。入力した内容が学習に使われない設定かを確かめておく
- 入れてはいけない情報:マイナンバー、口座番号、顧問先の会社名と人の名前、給与や病歴などを具体的に挙げる。名前は「A社」「B様」に置き換える
- 顧問先への説明:顧問先の情報をAIで扱う場合は、同意の取り方と、顧問契約書への書き方を決めておく
- 資格者が確かめる書類:顧問先・役所に出すものは、必ず資格者が読んでから出す。税務や労務の判断はAIに任せない
- 困ったときの連絡先:間違えて情報を入れたときに、誰に、すぐ何を伝えるかを決めておく
ルールは1枚にまとめ、職員全員が見られる所に置いておきます。使わせないためのルールではなく、職員が安心して使うためのルールです。社内ルールの作り方は生成AIの社内ルールでも解説しています。
士業事務所のための3段階導入ロードマップ
期間は目安です。事務所の大きさや、繁忙期がいつか、職員がAIを使った経験によって前後します。繁忙期の真ん中に始めるのは避け、落ち着いた時期に段階1を始めるのがおすすめです。
段階1:顧問先の情報を入れない仕事から始める(0〜3か月)
- 使ってよいAIサービスと、入れてはいけない情報を1枚のルールにまとめる
- 所長と職員1〜2人で、税制改正などの公表資料の要約、顧問先向けのお知らせ文、所内マニュアルの下書きを試す
- 試す前と後で、1件あたりにかかる時間を記録しておく
段階2:顧問先の同意を整え、報告書・議事録・規程の下書きへ広げる(3〜6か月)
- 顧問契約書と個人情報保護方針を見直し、AIを使うことへの同意の取り方を決める
- 月次の報告書、面談の議事録、就業規則の新旧対照表など、顧問先の情報を扱う下書きに広げる
- うまくいった使い方を文例と手順書にし、使う人を増やす前に職員向けの研修を行う
職員向けの研修は、自分の事務所の仕事を題材にすると身に付きやすくなります。研修の内容や進め方によっては、国の助成金の対象になることがあります。条件はAI研修に使える助成金で解説しています。
段階3:所内の知識をつなぎ、AIエージェントで流れにする(6か月〜)
- 過去の相談への回答、所内のQ&A、資格者の判断の基準をまとめ、AIで探せるようにする
- 「面談のメモを送ると議事録になり、宿題が担当者に届く」のように、いくつかの作業をつないだ仕組みをつくる
- 月ごとに作業時間や手直しの件数を確かめ、続ける・広げる・やめるを決める
シス学の場合
シス学(システム経営学)は、AIエージェントを活用し、会社を「儲かるシステム」につくり変える経営学です。株式会社むさしAI研修が提供しています。
シス学では、仕事を「作業・確認・判断」に分けて考えます。下書きや転記などの作業はAIが、AIの結果を確かめて例外に対応する確認は職員が、方針や最終の決定である判断は所長が受け持ちます。士業の事務所の代表的な書類である、税理士事務所の月次の報告書に当てはめると、次のようになります。
| 任せ先 | 受け持つ仕事 | 月次の報告書での中身 |
|---|---|---|
| AI | 作業 | 試算表の数字から、前月・前年同月との比較と、報告書の下書きを作る |
| 職員 | 確認 | 数字を帳簿と照らし合わせ、AIが「要確認」とした所を顧問先に聞いて埋める |
| 所長(資格者) | 判断 | 税務上の判断と、顧問先の社長に伝える助言の中身を決める |
所長に集まっていた下書きや確認を、AIと職員に渡す。そのために、所長が報告書で毎月見ている点(前年同月より大きく動いた科目など)を、職員の確認の手順書に書き出しておきます。
事務所の仕事のどこからAIに任せるかの順番づくりや、守秘義務をふまえたルールづくりはシス学 AIコンサルティングでお手伝いしています。職員がAIを使えるようにする研修は、シス学 AI研修で行います。定例と相談はオンラインで行い、全国に対応しています。
まずは30分の無料相談から。料金は、対象の業務と体制をお聞きしたうえで、無料相談でご案内します。日時を選んで無料相談を予約できます。
まとめ:士業×生成AIは「守秘のルール」を先に決め、資格者が確かめる下書きから始める
- 令和7年分の確定申告は約2,353万人で、77.1%がe-Tax。手続きはデータになったが、士業の仕事は繁忙期に集中し、新しいやり方を試す時間が取りにくい
- 生成AIは、顧問先への報告書、税制改正のお知らせ、就業規則の新旧対照表、許認可の必要書類の一覧、面談の議事録など、文章を読む・まとめる・書き直す仕事で使える
- PwC税理士法人は実証で正解率平均97%を公表し、辻・本郷 税理士法人はガイドラインを公表、TKC全国会は顧問先の同意と資格者の最終判断を方針にした。大手の数字はそのまま当てはめない
- 税理士法・社会保険労務士法・行政書士法には、資格者にも職員にも守秘義務がある。使ってよいサービス、入れてはいけない情報、顧問先への説明を先に決める
- 0〜3か月は顧問先の情報を入れない仕事、3〜6か月で同意を整えて報告書・議事録へ、6か月〜で所内の知識をつなぐ。効果は数字で確かめる
まずは、所長と職員で「顧問先の情報を入れずに作れる書類」を3つ書き出し、そのうち1つでこの記事のプロンプト②を試してみてください。かかった時間を前と比べることが、自分の事務所に合う使い方を見つける一歩目になります。
よくある質問
顧問先の情報を生成AIに入れてもよいですか?
事務所が認めたAIサービスで、入力した情報が学習に使われないかなどの扱いを確かめ、顧問先への説明や同意の取り方を決めてから扱います。税理士法・社会保険労務士法・行政書士法には守秘義務があり、職員にも同じ義務があります。迷う場合は、会社名や人の名前を「A社」「B様」に置き換えて使います。
所長と職員数名の小さな事務所でも使えますか?
使えます。大きな仕組みがなくても、税制改正の資料の要約や顧問先向けのお知らせ文、面談の議事録など、短い書類の下書きから始められます。最初は顧問先の情報を入れない仕事を選ぶと、ルールづくりと並行して試せます。
AIが作った申告書の下書きや労務の回答を、そのまま顧問先に出してもよいですか?
出さないでください。AIは条文や期限、金額について、もっともらしい間違いを書くことがあります。顧問先や役所に出すものは、必ず資格者が元の資料と照らし合わせて確かめ、税務や労務の判断は資格者が行います。
何から始めればよいですか?
顧問先の情報を入れずに作れる書類を1つ選び、AIで下書きを作って人が仕上げる形で試すのがおすすめです。試す前と後で1件あたりの時間を記録しておくと、続けるかどうかを判断できます。繁忙期の真ん中は避け、落ち着いた時期に始めます。
職員のAI研修に、助成金は使えますか?
研修の内容や進め方によっては、国の助成金の対象になることがあります。対象は雇用保険の被保険者で、研修を始める前の計画の届け出などの条件があり、受給は審査で決まります。日程を決める前に、労働局か社会保険労務士に確かめてください。


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